今年に得たもの

おはようございます。

 

本格的な冬に突入して、しかも選挙という、とても慌ただしい師走を迎えております。

 

去年も一昨年も、師走の選挙戦で皆様ご苦労なさったでしょう。社会はどんどん個人単位で動き、多様な考え方をSNSで共有し、意見を述べた上に、そのグループごと分かれることが多く、嗜好や好みも人それぞれであります。

 

主にネット社会と称される昨今のメディアや書籍などを通じてこの社会や世界のことにその社会を構成してる構成員らによって、政治の進むべき道を決めたり、伝わってきたりしながら、昔とは違う民主主義の形態を成しています。

 

日々の世界の動きにさほど興味のなさそうな若者層、主に新社会人である20代の男女は、この国の行方にどれほどの興味や関心があるのでしょう。目の前に繰り広げられる出来事が、直接自分と関わらないと言う名目で、彼ら彼女らにさほど影響しない既存のメディアだけが独り歩きしてるような印象を受けるのは私だけなんでしょうか。

 

20歳になる頃だと就職や学業、友人関係や恋愛、自分の趣味などに没頭されることが多くて、なんの面白さも備えてなさそうな政治の動きなどまっぴらごめんだと言う、これからこの国の未来を決めて左右していく主役の出番を自ら放棄してしまうような傾向が多く見られます。

 

彼ら彼女らの思うところは果たして自分がこの国の未来を決めていくことが可能なのかにあると考えられます。自分の意見が、自分の一票が、どれほどの影響力があるのかについては大してこの国を動かせるような力を成し得ないことだと認識しているのです。

 

最近は年齢層が上向くほど投票する方が増えているようです。長い間いこの国の主役を務められた大人だからこそ、その一票一票には多くの想いや気持ちがあって、20代の方とは趣が違うとも評価できるかもしれません。

 

これからの主役の政治参加への放棄は自然と上の世代に負荷がかかります。若者が棄権した分だけシニア層の責任が重くなります。「世界を変えたい」と思っても政治はこの国を変えられないと落胆したばかりか、もはや「政治のない世界」でしか生きられないようにも映る今時の20,30代の方々はこの国での自分の立場というものにさほど気にかからない様子です。

 

ここに私がいるではあっても、この国に自分がいるという認識はあまりなさらないようです。印象的なのは大人の世界という彼ら彼女らにとって忌まわしいぐらいギクシャクする利害関係や意識構造が「ほっといてください」と叫ぶ声が聞くとも知らぬ間にこの社会を投影していると思いました。

 

ここから10年、20年後、今の若者層が作っていく社会とは、きっと政治に無頓着な構成員らによってもっともっと、今よりも政治が機能しない状況になることは自明であります。「政治と共に去りぬ」の今のシニア層がいなくなった場合、その共に去っていった「政治」というものに、今を生きる我々が記憶しておくべきものとは果たしてあるのでしょうか。

 

「あの時代はよかった」とよく口にされる大人たちも、若い世代の時代にはきっと政治にそれほど興味がなかったのかもしれません。詰まるところ、この国の在り方の答えはここから20年後に現れるかもしれません。もしその時にもう遅いと思わないようにもより積極的に政治へ参加していくべきなんでしょうか、それとも今のシニア層のようになるまで「眼の前のこと」置かれてる現状に甘んじることでよいのでしょうか。

 

 

答えは20年後にあると思います。

 

 

長文を読んでくださりありがとうございます。