NHKの女子アナウンサーについて考えたこと

 僕はよくNHKのニュースを見ていますが、ニュースに登場する女子アナウンサーはひとめ見て「きれいだな」と思うことが多い。

 

もちろん日本の一番メインのテレビ放送局だし、社会的な責任や役割に置いて大変重要な立場であるから、NHKの自慢ともいうべきニュースやほかの報道番組に置いて、より効率的に視聴者へ情報を伝達するうえ、「見た目のいい」担当を配置することは至極当然であると思う。

 

ほかの民間放送の所謂娯楽性に充実しているような「女子アナ」とは違って、NHKの女子アナウンサーは非常にまじめで、滑舌や言い回しにも一段と高い能力を有していることはもちろん、品性に関しても随一優れているとも言えるでしょう。

 

なんせ、国民から視聴料をいただいてその代わりコマーシャルを一切流せない放送の方針から「俗を離れているエリート集団」としてのNHKアナウンサーのイメージは少なくとも僕には見えている。

 

彼女らの喋り方や服装、身なりなど、普段我々の暮らしている「世間」ではなかなか見当たらないことも確かだと思う。自分の周辺にもしNHKアナウンサーのような女子がいるとしたら、どういうコンセプトで存在しうるのだろうか。

 

家族のほかに職場の同僚、もしくは友達、よく訪れる飲み屋の店員?マダム?しかしよく想像がつかないのである。

 

テレビをつけて毎日映っている「アナウンサー」の姿やその存在って、俗にいう2次元の「キャラ」なので、あの人が現実では普段どう振る舞っているかについては知るすべがない。センター的なメディアとしての「NHK女子アナ」とはほかの民放のアナとは違って、極めてストイックである。僕にはもちろんNHKの女子アナの知り合いはいない。

 

「NHKの女子アナウンサーってきれいな人多いよね」とふとつぶやいたら、友達が「知り合いがいるよ」と紹介してあげると、さりげなく誘ってきたんだけど、僕は敢えて振り切った。テレビでとても誠実に毎日決まった時間に世界のありとあらゆる情報を届けてくれる、その姿とはどこか近づきがたい、少し距離を感じるのである。

 

民放とは違いバライエティなどに参加しないこともあるし、感情を抑制するアナウンサーのオーラは全日本人の床の間のヒロインである。ネットで囁かれることも少なくないにしろ、「箱の中の天使」のごとく、仮に作られた微笑みだとしても誰も憎めない「報道の女優」としてあり続ける彼女たちに時々拍手を贈りたい気持ちが湧く。

 

当然のことだが、彼女らにもプライベートがある。多忙な中でも付き合いもあるし、人生がある。普通のサラリーマンの9時出勤、6時退勤のようには動けない職種の特徴の上に「生活を犠牲にしても」いつもみんなの前に立つその逞しさに感心しつつも、それでも女性だから幸せのある20代、30代があるのではと若干同情する気持ちもある。

 

ただでさえ視聴率の低いNHKのニュース番組で時代によって入れ替わったり、どんどん新しい世代の新人アナウンサーが出てくる間、自然と消えてゆく方もいる。

 

24時間届く電波の中でしきりにうちの部屋まで訪れてくる箱の中の天使は一人暮らしの自分にとってはかけがえのない家族であり、恋人であり、友達である。

 

黙々とした感じがいいのだ。日刊紙や週刊誌、ネットでもお会いできるのは今の時世のこと、外から帰ってきてまたテレビをつけると「現実の出来事」を実感させてくれる、もう一人の母なのだ。