初めての自己宣言

こんばんは。今夜は突然ですが、2011年のTwitterのアカを始めて間もない頃に初めて自分に考えを述べたつぶやきの連投をまとめてみて振り返ってみようと思っています。

 

当時の自分が考えていたことを顧みてこれからの糧にしたいと思います。

 

2011年10月3日深夜

 

突然のカミングアウト。韓国人です。ソウルに住んでいます。しかし、韓国語より日本語がうまいです。理由は東京で丸7年留学したからです。語学を1年、大学4年、大学院2年、計7年。2002~2009年まで、帰国して2年です。大学の名前は当分明かしません。不況の煽りの犠牲者です。 

このアカで4個目。結構ずばずばものを言ってきました。ソウルでは日本語を使うことはほとんどないので、ツイッターで日本語を忘れないように利用しています。多くのフォロワーさんに恵まれて感謝です。  
僕ってあまりこだわりとかなくて、敵を作るのが苦手です。人間同士譲り合い愛し合うことをモットーとしてますので、僕のツイートで嫌な思いをされた方は多い目で許してください。まだまだ僕も若いので、足りないところが満載です。 
いつも考えることですけど、偶然知り合った短い縁でも、もしここで別れたら、「永遠」に出会うことはできません。それは家族も友人でも誰でも一緒です。一期一会もそうですけど、仲悪くして合えないともったいないですよね。それでも人間はいがみ合ったりします。それは仕方ないと思いますけど。
 
眠くなりそうな話で申し訳ないですけど、永遠ってすごく抽象的な概念ですよね。しかし、愛とか国家とか、希望とかのように人間はそれを無理なく理解し想像することができます。無限とかも・・・。 
歴史を否定してるわけではなくて、宗教的な観点というか言葉通りの解釈をすると、永遠は人間が発見した最も尊く優れた言葉でしょう。限りのある人生といっても、人間は死を経験することはできないので(死ぬ瞬間意識がなくなるから)永遠を生きてると思います。つまり生きてる間は永遠を生きてるんです 
すっごいお年寄りじゃない限り、いや、そうだとしても人間は明日があると信じて眠りに付きます。それができないと決して眠ることはできないでしょう。ただ以前ツイッターで知り合った方のなかに、「今日で終わるかも」と思って眠られた方が居りました。しかし、確信はできないです、明日がくるまいと。 
私たち人間は朝に生まれて夜死にます。という仮の生と死を繰り返してます。シンプルに考えれば人生ってそれだけの話ですよね。朝起きて仕事や用事を済ませる、ご飯を食べ、遊ぶ人もいる、喧嘩をする人も、苦しんでる人もいる、幸せな人もいる・・・こういうSNSで人間と人間はより距離が縮んだかも。 
しかし、幸か不幸か知りませんが、それにしても私たちの人生は長すぎますよね。昔なら40くらいで生が終わり「人生40年」と織田信長が言ってましたっけ?いまはそれより伸びましたね。科学は進歩して雑多な家事とかは機械がやってくれます。余暇が増えた人間は色々考え始めてます。 
それは人生の答えや意味といったものでしょう。ここで僕が怪しげな宗教の勧誘をしたいわけではないです。それを見た限り人間は昔より進歩したと思います。歴史の進歩史観を僕は肯定してます。昔の人間より現代の人間のほうがより優れてます。 
生まれていつか死ぬことが当たり前だった人間。しかし、日本を限って見ても今はそうではありません。生まれて死ぬことが当たり前ではなくなっています。 

人生の意味とか、欲望とか、幸せになりたいとか、長生きしたいとか、やるべきこと、夢、人としての尊厳とか・・・それらは生きることそのものであり、生きるとは死ぬことの裏返し、生も死も日常ではなく、人間の欲望によってかき消されてゆく物になってました。道具を作ることを覚えた人間は今度は「神の領域に」挑んでいます。人間が人間を作るのです。ロボットとか、人工の臓器とか・・・。相対性理論も否定されましたから、タイムマシーンが実現するかもしれません。神も人間が作ったものとあえて言うなら、もう21世紀になって人間はすべてを手に入れましたおよそここまでが普通に今の社会で認識されてる常識です。こんな言うために時間をつぶすわけにはいきません。今度は僕が言いたいことを言うのです。人間は一人では幸せになりません。人間は一人では生きていけません。皆が皆を支えあってこそ社会は成り立つのです。この世に生まれた人皆は生きるべくして生まれてきた、悪いことをしたら悲しいけど、誰しも父があり母がいる、祖先がいる故郷がある、空は見れなかったとしても空気を吸ってします。「あなたが仮に今絶望に晒されていても」世界はあなたのことを見守っています。この世の中には人がいっぱいいます。一度も幸せになれなかったとしても、嘆く必要はありません。人間は幸せも不幸せも共有しています。絶望はあなただけのものではありません、皆のものです、なぜなら皆同じ人間だからです悲しいこと嬉しいこと、みんなそういう気持ちは違う形でも持っている。これからの時代は「産業発展の時代」から「人間中心の時代」になるでしょう。明日も張り切っていきましょうね。死なないならどうせ生きるしかないのです。書いてから考えてみたら、みんなどこかで読んだような文章・・・これからの時代は全く新しいものを創造することは難しいでしょう。これもどこから読んだ。読んでくれてありがとう、役に立てば何よりです。明日は未来の初めの一日。お休みなさい。ため息が出るほどの長さですが、当時これを一晩かけた書いたようです。今と当時は何がどう変わってるのかは各自判断するとして、自分ここにいる僕はこれからどこへ向かえばいいのか考えるためにも初めてのこの文章を大切に受け止めたいです。ではまたの日にお目にかかります。