夏の目前で

お久しぶりにブログを更新しました。時々長い文章が書きたくなるんですよね。

 

東京、関東地方は今日真夏日を記録しましたね。今年初めてでしたっけ?とにかくまた始まったって感じです。くれぐれも体調管理に気を付けてください。

 

 

ソウルは外はもちろん暑いんですけど、部屋の中はあまり暑くありません。むしろ「長い春」が違和感を感じるほど、もうすっかり日本の初夏を懐かしむぐらいです。

 

皆様にとってみれば暑苦しい夏が、特に外でお仕事なさる方はあまり喜ばしくないかもしれません。しかし夏の商戦といい、この季節に一儲けして年中生活していく方も結構いらっしゃるのではないかと思います。ひと夏の夢のように慌ただしい夏はむしろ活気に満ちた季節に他ありません。

 

エアコン、アイス、扇風機、水着、旅行商品などなど、この季節こそ本番を迎える凝集が多くあります。

 

僕の場合、ここ数年夏の休暇を特に過ごしてないです。ずっとパソコンの前、お寺の夏安居(かあんご)のように引きこもって、仮想の世界に沈着していく毎日で、むしろそれが避暑のような役割をなしてきました。

 

あまりまとまりのいい文章ではないので、ご了承いただきたいですが、こうして誰がどこで読んでくださるのか知らず、ひたすらキーボードを打ち込んでいるとそれはまさしく自分との対面なのです。

 

今年も大した予定はなく、今まで書いてきたツイートをなんとなくまとまってきたと感じつつ、少しホッとしていますけど、8月に開設したアカウントで、いつもその頃になると原点に返り「どうして自分はTwitterを始めたのか」という問題にもう一度たどり着くのです。震災があったあの年にいつもの夏とはいい難いあの頃を思い返してみると、どうも今年もそこからものの発端があったのだと感じます。

 

 

夏と言えばまず海を浮かべられる方もただいらっしゃると思います。海は癒しであるはずのことが酷くみんなを傷つけ、命や財産を奪っていったあの未曾有の体験は「愛すべき海」を私たちから奪い去ったと思います。海のことが悪いのか、自然災害は誰の責任なのかで、かなり悩まされること多い、しかし自然が悪意を持つことはないでしょうし、結局備えきれなかった人間の罪ではないかと思いました。

 

 

海は人間のもの、私たちの物であることはいつまでも変わりはなく、水害が起きても誰も海のことを憎みません。海は僕、僕は海、向かい合って夏を過ごすための一つの世界であり、食料や資源の宝庫なのです。

 

「海の声が聞こえますか」

 

 

確かに海は日本列島を囲んでるかけがえのない日本人の故郷だと思います。

 

波打つ音を想像して、あの夏へ戻る。

 

涼しげな海風に頬が涼む。

 

部屋から遠くにある海まで運ばれてくるのは毎年の夏の手紙でした。

 

 

では今年もまた楽しく乗り切れるようにお願いしたいですね。

 

 

 

また時折書いて皆様にお挨拶とします。

 

 

西のほうから