夏の残影

6月も終わりに近づき、もうすぐ7月、夏の本番を迎えようとしています。

 

 

梅雨が明けて空が碧くなり、積乱雲がもやもやと広がりを見せ、海と水平線を成す頃に、旅行先での風景や仕事帰りの日々の外の様子などが、だんだん私たちの心の記憶の奥に佇んでいそうな映像の片鱗なのだと考えます。

 

若い少年少女の時代に嘗て見てやまなかった空や海の景色は夏とはこういうものだという、イメージカラーを形成していました。

 

碧く広がる頭のてっぺんをみんな共有していく季節こそ、一人でもそれほど寂しくない季節なのだと感じるのです。

 

蝉しぐれと言ったにわか雨や台風の迫る夏は時には背筋が涼しくなり、猛暑の太陽が照り尽している、街のビルや橋の下の流れる小川のせせらぎとともに、ある清涼感もより鮮明にこの季節を跡付けてくれる思い出なのです。

 

ひまわり畑で鬼ごっこをする、里山や川のほとりで遊んでいたあの頃の残影はまた今の子供たちにオバーラップされて、まるで若かった当時の姿が映画になったかのような錯覚を呼び起こして、暑くて長いあの季節を蘇えらせてくれるのです。

 

 

砂利石と石の間を歩いてる蟹を掴み取って、口に入れ、噛んだ時のあの風味も、ひまわりにとんぼが座っているのを手で掴み、女の子へ持っていき、驚かせた時の楽しさもまた夏休みの終わり頃の忘れ難い思い出深く、あのぼんやりしていた頃の一入なのでした。

 

 

木製の電信柱を叩きながら走り回ったり、街の巨木に手を当てた瞬間のその暖かい触感は今はなかなか味わえない、昔だけの限定された世代が思い浮かべられる感覚なのです。

 

 

扇風機のプロペラにあーと声をかけた、汗がまだ乾かない時の顔の涼しさ、線香花火を庭で燃やして火花とともに額に寄せてくる微風もあの頃に感じた夏の感触なのです。

 

 

蚊帳の中で過ごしたあの夏の夜に見た夢は少年や少女を育んでくれたお母さんのうちわの羽ばたくなかでの安らぎなのでした。

 

 

満天の星を数えた分、私たちの夏は成長していったのでした。あの夏を今年も迎えながらも、二度と戻らない夏こそ心のどこかに静かと、眠っているのです。